お酒にまつわるさまざまな知識や教養は、成人たる人間が、自ら体験し、謳歌し、伝承していくものであり、一部の専門家、酒業者からの一方的な情報として、人々に伝達されるものではありません。
しかしながら、出版不況のわが国の現状では、お酒の楽しさを身につける、軽妙にして秀逸、ユーモラスな批判的精神を持ち合わせた書物は、自らを贖うことあきらめて衰退し、酒を売らんがための広告に終始し、本音で酒を語りたいと希求する青少年、一般民衆の根本的な疑問や興味はいつの間にか、ビジネスという名の商行為にすりかえられています。
万人の内奥から発した酒への文化的渇望が、このまま蹂躙され、放置され、大人のたしなみである酒が、単なる消費財としてむなしく滅びさる瞬間はすぐ目の前に迫っているのです。
このことは、飲酒をしない人々の酒への興味の機会を阻んでいるだけでなく、酒文化に耽溺したい健全なる愛飲家たちの精神的な成長を蝕んでおり、酒文化的の多層的発展というという崇高なるチャレンジを脆弱なものにしています。単なる「呑んべえ」以上の深い洞察力、おいしさを高めるコミュニケーション力、体験に裏付けられた鋭い見識、いわば「酒」を愉しむ力を必要とするこれからの愛飲家の将来にとって、真剣に憂慮されなければならない事態といわなければなりません。
わたしたちの「酒眉」は、この事態の克服を企図して発刊されたものです。これによってわたしたちは、酒ビジネスの意図的な宣伝媒体として存在するのでもなく、単なる酒の指南書でもない、もっぱら万人の酔いから生じる根本的な人生への疑問、深遠なる哲学、恋愛論や文化論を議論し、掘り起こす手引きとして、継続的に楽しめる媒体を手に入れることになりましょう。
わたしたちは、印刷代、紙代などの制作費、原稿料や取材経費といった編集費を自らの手で購うことによって、「酒眉」を生み出し、世間に向け大きく「叫び声」を上げたいのであります。これは、自由な酒呑みの発言、酔っ払いの芸術の発表の場を残していく、大いなる野望でもあります。有志の結集をここに呼びかけます。