【連載】料理研究家研究

投稿日: カテゴリー: 料理研究家研究連載

やっぱりケンタロウはすごかった。

日々、料理本のことを考えています。仕事ではもちろんのこと、趣味でもありまして。お酒を飲みながら料理本を眺めて思うこと。思ってるけど言えないことを、お酒の力を借りてつらつらと語りマス。

第一回目はケンタロウさんです。なぜ今更?と思われこと必至の、言わずと知れた大人気料理家。残念ながらお目にかかったことはなく、恥ずかしいことにごく最近まで、彼の本を手に取ることってほぼありませんでした。なぜならあまりに有名&定番すぎて。でも、料理本が増えに増え(当社比ですが、たぶん本当)、〈売れる本=売れてる本のまねっこ本〉が主流となった今、自然に手に取ったのが彼の本でした。

そしてその「まっとうさ」に、もう心底惚れ惚れしたわけなのです。  

私が料理本を見るときの目は濁ってます(だいぶ)。「分かりやすく見せてるけど、結局手間なのでは…」とか、「丁寧すぎて逆にややこしいよ」とか、「おしゃれなだけじゃん!」とかとか。邪推のカタマリです。そんな目で見ても、彼のレシピはあまりに「まっとう」でした。この率直さは、サラブレッドならではだなとも思ったりするのですが(やっぱり濁っている)。それにしたってです。

私が好きなのは『ごはんのしあわせ』(ヴィレッジブックス2006)という1冊。まず「この本は、ふだんのごはんの本です」ではじまる彼の文がすがすがしい。 「ふだんのごはんの本」というのは、いわゆる料理本の神髄なわけで、一番難しいところをせめるわけですね。で、こう続きます。 「いや正確に言うと、ふだんのふつうのごはんだけど、うれしくてしあわせなごはん、の本です。」。

続く文で彼も言っていますが、この「しあわせ」ってとこがポイントで、やっぱり自分で食べるごはんはしあわせじゃないといかん。簡単にとか、手早くとか、短時間でとか(同じことか)。そんな目先の効率を追いかけがちですが、やっぱり「しあわせ」を忘れちゃいかん。

レシピもまた味わい深くて。

セオリーとして、「作り方」は、工程1、工程2と進んでいき、各工程はできるだけ簡潔に、それでいて火加減や加熱時間が明確に分かるようにしないといけない。というのがあります。

しかし彼の手にかかると、 「サツマイモは2センチ幅に切り皮をむいて、やわらかくなるまでゆでる。もちろん水から。」とか。 「フツフツしたら他の材料もぜんぶ入れて煮る。いいかんじになったら卵にくぐらせて食べる。」(ともに同書より引用)となる。

サツマイモはゆで時間なんかはナシで、結構〝いいかげん〟に見えるんですが、サツマイモといっても太さはいろいろ、鍋の大きさだってそれぞれだし、細かく言っても実はあまり意味がない。これだけ書いておけばどんなに初心者でも、「サツマイモって水からゆでるものなんだー。もしや他のイモも同じなの!?」ってことが分かるし、とにかくゆでて、自分で確かめたらいいわけです。ゆで上がったかどうかや、煮え具合が「いい感じ」かどうかは、たぶん初心者でも分かる。レシピが無機質じゃなく、ちょっとした茶目っ気がついてくるのも心にくい。

読む人を変に甘やかさず、教えることは教えてくれる。そのほどよい距離感が心地よく、楽しい。食べてしあわせかどうか、おいしいかどうかは自分で決めて!という声が聞こえてきます。

やっぱりレシピって、そういうもんだよな〜としみじみ思ったのでした(再び彼に会える日が来ることを、心待ちにしています)。

文:お台所ちえみ

絵:きくちまる子


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